大判例

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仙台地方裁判所 昭和60年(ワ)1411号 判決

原告

佐沼共有山組合

右代表者組合長

米谷宮穂

右訴訟代理人弁護士

八島淳一郎

右訴訟復代理人弁護士

三輪佳久

被告

武川大助

田形ふみ子

武川傳

武川慶光

武川文丸

武川正太

亡武川資久訴訟承継人

武川ふみこ

亡武川資久訴訟承継人

伊藤資子

亡武川資久訴訟承継人

武川信久

亡武川資久訴訟承継人

海野裕子

亡武川資久訴訟承継人

武川文夫

右被告一一名訴訟代理人弁護士

鈴木幸夫

武川典雄

熊野淑子

佐藤貞子

畠山まさ江

長谷哲子

大守禮子

武川譲

武川慶孝

武川勲

荒井千鶴子

中村由美子

千葉裕一

鈴木美智子

小幡智恵子

木村恵津子

武川紀代子

武川泰山

武川智香子

武川文也

所昭代

高橋幸代

(旧姓 谷俣)

谷俣清貴

主文

一  別紙物件目録記載の各土地の所有権が原告佐沼共有山組合の組合員全員に帰属しかつその総有であることを確認する。

二  訴訟費用は被告全員の負担とする。

事実

第一  原告訴訟代理人は、主文一同旨の判決を求め、請求の原因を次のとおり陳述し、立証として〈書証番号略〉を提出し、証人上野孝の証言及び原告代表者本人尋問の結果を援用した。

一  原告は、別紙物件目録(一)乃至(八)記載の各山林及び(九)記載の原野(以下「本件山林」という。)の登記簿(〈書証番号略〉)の表題部所有者欄及び旧土地台帳(〈書証番号略〉)の所有者氏名欄に「武川久太夫外二百九十三名」と記載された者の子孫にして本件山林を使用収益する組合員(現在数一一七名)によって構成され、慣習及び規約による規律のもとに、組合長を代表者として活動する、講学上「権利能力なき社団」の実体を有する組合である。

二  原告の構成員たる組合員全員は本件山林を所有し、その所有の形態はいわゆる総有である。以下にこれが総有たることの沿革及び原告組合による管理の状況を説明する。

1 沿革

(イ)  本件山林は、旧幕藩時代から明治維新の頃まで、仙台伊達藩内佐沼邑主である亘理氏が支配する知行地であって、亘理氏の領民がこれを建築材、薪炭源として使用収益していたところ、戊辰戦役にあたり亘理家の当主は幕府軍に属し、秋田に出陣して敗れたため、維新政府からその采邑を没収され、その後、本件山林は山形県士族西田栄作が支配することとなったが、本件山林を使用収益していた亘理氏の旧領民は不便を感じ、有志相謀って、明治九年二月六日当時の北方村役場において、佐藤守勝外一二名の名において、右西田から、一小区北方村戸長阿部正太夫を売捌人として、本件山林を含む北方村の内北浦日向山林反別四〇町歩を代金八〇〇円で買受け、同月七日手金三七円、同月一五日四六三円合計五〇〇円を支払い、残代金三〇〇円は同年秋まで無利子にて借受け、その頃これを支払った。そのため、地元民はこれを買受山と称している。

(ロ)  右買受山は、右買受代金を拠出しこれを使用収益していた地元各戸に対し、その出資金に対応する口(株)数を単位として権益を認めてきたが、明治二二年三月頃に作成された本件山林の旧土地台帳(〈書証番号略〉)に所有者として記載されている「武川久太夫外二百九十三名」は、右買受代金を拠出した地元各戸の戸主であって、本件山林の使用収益権者である。

2 維持管理、処分

(イ)  本件山林は買受後旧慣に従い、諸役を置き、各戸労力を拠出してこれを維持管理し、これに対する公租公課は、その保有口数に按分して各戸から徴収し納付していた。

(ロ)  薪炭材の採取方法は、毛上である雑木林を一〇年おきに四町歩程度輪伐していたが、毎年輪伐する山林を更に一〇〇区画以上に小分をし、これに番号を付し、口数に応じて籤引きをさせ、籤にあたった個所を伐採させていた。

(ハ)  昭和三三年九月には、本件山林の使用収益権者は、旧慣を成文化し、佐沼共有買受山組合を結成し、規約を作り、議決機関として総代一五名を置き、各組合員がこれを選出することとし、執行機関として組合長、副組合長各一名、委員一〇名、監査役として監事三名、事務局として庶務会計一名を置き、本件山林の管理運営にあたるようになり、昭和五六年には現在の名称に組合名を変更した。

(ニ)  原告の構成員は、右規約作成以前から、死亡、他地への転出等の事由により持株を移転して交替することはあったが、移転する株は従来からの株主に引き継がれ、持株が元からの構成員以外の者に移転したり、持株がないのに構成員になったり、構成員同志が分裂することもなく、「武川久太夫外二百九十三名」当時本件山林につき権利を有していた者の権利は、世代交替する毎に引継がれて、現在の原告組合員一一七名に承継されている。

(ホ)  本件山林の輪伐は昭和四三年まで行われた。それ以後は燃料として薪炭を用いなくなったため、輪伐を停止した。本件山林中(一)の天形一六一番一五には、昭和四〇年代に杉を植林し、(八)の東場四番一にもその頃松を植林し、それぞれ下刈、間伐をしている。昭和四三年一〇月一日本件買受山を構成していた天形一一四番の二、同一六一番一三を迫町牧野利用組合に売却し、その売却代金を組合員に分配した。

三  しかるところ、本件山林を宮城県においてダム用地として買収に着手した昭和五五、六年頃から、武川久太夫の後裔である被告らは、本件山林が買受山となる以前より代々武川家の単独所有であって、旧土地台帳の所有者氏名欄にある「外二百九十三名」は後日何人かが勝手に書き加えたものであると主張し、原告組合員全員の総有を否認するに至り、総有者において本件山林を原告代表者個人名をもって所有権保存登記をし、ダム用地として譲渡することに支障を来たしているので、本訴請求に及んだ。

第二  武川資久訴訟承継人被告武川ふみこ、同伊藤資子、同武川信久、同海野裕子及び同武川文夫並びに被告武川大助、同田形ふみ子、同武川傳、同武川慶光及び同武川文丸(以下以上の被告を総称して「被告乙」という。)訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として、請求原因事実中、被告乙が明治年間に生存した武川久太夫の後裔であることは認め、その余は争う、本件山林は武川久太夫の単独所有にして以後その相続人が所有するところであり、原告の組合員なるものは本件山林の使用借人に過ぎない、と陳述し、立証として証人武川ふみ子(後に武川資久訴訟承継人被告となる。)の証言を援用し、〈書証番号略〉の成立は不知、その余の甲号証の成立(〈書証番号略〉)は原本の存在及び成立)は認める、と陳述した。

第三  被告長谷川哲子、同熊野淑子及び同畠山まさ江(以下「被告丙」という。)は、本件につき主張することは何もないと述べた。

第四  その余の被告(以下「被告丁」という。)は、いずれも適式の呼出を受けたが、右呼出にかかる各期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面も提出しない。

理由

第一被告丙及び被告丁に対する判断

右被告は本件口頭弁論期日において明らかに原告の請求原因事実を争わないので、これを自白したものとみなす。

第二被告乙に対する判断

一被告乙が武川久太夫の後裔であることは当事者間に争いがなく、被告乙が本件山林の所有権の帰属につき原告の構成員たる組合員全員の総有を争っていることは、訴訟上明らかである。

二(1)請求原因一の事実中本件山林の表示の登記の表題部所有者欄及び旧土地台帳の所有者氏名欄に「武川久太夫外二百九十三名」と記載されていること、右土地台帳の所有者氏名欄の記載は明治二二年三月になされたことは、〈書証番号略〉によってこれを認め、(2)請求原因二1の(イ)の事実中、明治九年二月六日佐藤守勝外一二名が北方村の内北浦日向山林反別四〇町歩を山形県士族西田栄作から買受けたことは、〈書証番号略〉によって認定し、その余の事実は証人上野孝(元迫町長)の証言及び弁論の全趣旨によって認定し、(3)請求原因二1の(ロ)並びに同2(イ)乃至(ホ)の事実は、右(1)、(2)掲示以外の甲号各証(成立を不知とされたものは、方式及び趣旨によって成立を認める。)、証人上野孝の証言、原告代表者本人尋問の結果を総合してこれを認定する。以上に反し、本件買受山は当初から武川久太夫が単独で所有していたものである旨の証人武川ふみ子の証言は根拠がないから措信することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

してみると、本件山林は遅くとも明治二二年三月以降、武川久太夫外二九三名及びその承継人が総有するところであって、これが管理、収益及び処分はその団体の意思により旧慣に従って行われていたが、昭和三三年九月、当時の使用収益権者は、右旧慣を明文化して原告組合を結成し、組合長ほかの諸機関を置いて本件山林を経営してきたのであるから、原告は民事訴訟法四六条にいう「法人ニ非サル社団ニシテ代表者ノ定アルモノ」に該当し、訴訟当事者能力があるといわなければならない。

第三総括

以上に説示したところによると、原告の本件山林所有権(総有)確認請求は理由がある(原告は権利能力のない社団であるから本件山林の所有者となることはできないが、構成員全員の信託的受託者として、原告組合員全員が本件山林を総有することの確認を求めるにつき当事者適格がある。)からこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官片瀬敏寿 裁判長裁判官宮村素之は退官のため、裁判官青山智子は填補のため署名押印することができない。裁判官片瀬敏寿)

別紙物件目録

(一) 所在 登米郡迫町北方字天形

地番 一六一番一五

地目 山林

地積 一三八九八平方メートル

(二) 所在 右同所

地番 一八四番一

地目 山林

地積 四六三八四平方メートル

(三) 所在 登米郡迫町北方字川戸沼

地番 一番

地目 山林

地積 一一二〇三平方メートル

(四) 所在 右同所

地番 二四番

地目 山林

地積 二二四一三平方メートル

(五) 所在 右同所

地番 二五番

地目 山林

地積 二一四八七平方メートル

(六) 所在 右同所

地番 二六番

地目 山林

地積 一六五二八平方メートル

(七) 所在 右同所

地番 二八番

地目 山林

地積 三一二三平方メートル

(八) 所在 登米郡迫町北方字東場

地番 四番一

地目 山林

地積 五一一九平方メートル

(九) 所在 登米郡迫町北方字丸森

地番 八七番

地目 原野

地積 二九五平方メートル

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